痛みのその向こうに何がある?
今日は初めて人体改造の記事を書こうと思う。
初めて開けたピアスと舌ピの話なので写真はないが、多少閲覧注意かもしれない。
それでも構わないと言う方は読み進めて頂きたい。
僕が初めてピアスを開けたのは16歳の頃だった。
なんとなく昔からピアスには憧れていた。
これも興味本位のようなものだが、体に金属を貫通させる感覚はどんなものだろうと気になってしまったのだ。
しかし学校はピアス禁止であり、隠れて開けるにも月に一度の頭髪検査でバレてしまう。
「どうしたものか、あぁそうだ。耳以外に開けてしまえばいいのだ。」
そこからボディピアスの事を調べ、チェスト(鎖骨下)に開けることにした。
最初は感じたことのない痛みへの恐怖と憧れに近づける高揚で複雑になりながら、切っ先を皮膚に刺した。
チクリとした鋭い痛みを感じる。
しかし元より痛みへの耐性が高かったのか、痛みを感じるが慣れてしまった。
思った以上に痛みを越えることは簡単なのかもしれない。
終わってしまえば痛みは思い出せず、ただそこに金属が埋め込まれていた。
そうしてチェスト(鎖骨下)やアンチアイブロウ(目の下)などに開けているうちに舌ピの存在を知った。
最初はこれは流石に耐えられる痛みではない、そもそも感覚がわからない、と憧れを持ちつつ避けていたが、映画の「蛇にピアス」を見て人体改造熱が再燃し、次第に憧れの方が強くなってしまった。
若いうちしか出来ない上、やらずに後悔するならばその痛みの向こうへダイブしてしまおう。
僕はニードル14g(1.6mm)と同サイズのバーベル、クランプ(下を挟んで固定する器具)を買い揃え、タイミングを待った。
17歳の冬、覚悟が決まり満を持して開けることにした。
まず舌には穴を開けてはいけない場所がある。まず真ん中の筋である舌小帯、もう一つがサイドにシンメトリーにある静脈と動脈である。
その二つを避けつつマーキングをし、クランプで挟んだ。
ニードルの殺菌袋を開け、カバーを外す。緊張で身体がこわばった。
「憧れだったんだろう、突き刺せ」
頭の中で好奇心の側の僕が言った。恐怖心は聞こえないように好奇心だけを聞いた。
ニードルを裏から刺す。
まずは表面的な痛みを感じた。しかしこれはボディピアスで慣れており苦ではない。
突き刺すことに精神的動揺を感じながら徐々に、徐々に深く進めていった。
真ん中頃までニードルが到達すると下の内部に感じたことのない痛みを感じた。
言語化は難しいが日常では感じることのない筋肉に異物が入る痛みである。
それを乗り越え、表面の痛みを感じながら貫通させた。
ピアスを接続して通すのはすんなりと進んだ。
ようやく憧れを手にした。満足感と手に入れたアイデンティティの痛みを感じながら僕は眠りについた。
痛み、と言うものは時にリアルを忘れないためのものなのかもしれない。
現実から浮遊しそうになる精神を繫ぎ止める重石のような役割だ。
現実感を喪失した時は痛みで我に帰ることができる。
そう考えると僕はシリアスにしっかりと生きていたいのかもしれない。
結果的にはファッションとしてのピアスが増え、痛みへの感覚の増加、捉え方の変化を起こした。
より現実的に痛みを携え、生きてゆきたく思う。