Goodbye DXMer

日々のこと、ドラッグのこと、音楽とサイケ真理

セックスもODも初めては悲惨

とある日僕は精神科に連れていかれた。

日々の情緒が不安定すぎるという理由だった。

 

当時17歳で初めて処方されたのはドグマチール(定型抗精神病薬)とブロチゾラムチエノトリアゾロジアゼピン系睡眠導入剤だった。

初めて今まで読んできた成分を含む薬物が手に入った時はまるでゲームを買って貰えた子供のように喜んだ。

通院毎に薬は変えてもらった。眠れないわけではないが眠剤マイスリー(非ベンゾジアゼピン睡眠導入剤)やロヒプノールベンゾジアゼピン睡眠導入剤)と強さを上げていった。

 

そして一定錠数溜まった時ODを決心した。

飲むまでが一番恐ろしかったように思う。何事も最初は恐怖を伴うのだ。

これを飲めばどうなるか分からない、もしかしたら入院かもしれない。

しかし憧れだ、決心を決め全て飲み込んだ。

 

次第に涙が溢れ、何か悪いことをしてしまったような罪悪感が心の中で芽生えた。

リビングへ行くと明らか泣いた後があったので部屋を確認されバレてしまった。

初、日赤救急搬送である。

拘束台に縛られ、胃洗浄の説得をされる。

「手遅れになる前に胃洗浄しようね、お願いだから。」

看護師に頼まれるように言われてしまい、心が折れ錯乱した頭でそれを受け入れた。

 

胃洗浄用のチューブが鼻から入ってくる。

最初の1cmほどは何も感じないが次第に奥へ奥へと痛みを伴い、異物が粘膜を圧迫する感覚。

喉までチューブが到達した途端、堪え兼ねる吐き気と内部からの痛みで嗚咽が止まらなくなった。

気付くと僕はもがき、暴れ、続行不可能と判断した看護師は鼻からそっとチューブを抜いた。

 

「入院になりますが、暴れてしまうため点滴の投与治療にさせて頂きます。」

 

ようやく吐き気から解放され、病棟に着いた途端眠りについた。

 

それから三日間ほどし、僕は退院した。

今でも親や看護師の方々に迷惑をかけてしまったと申し訳なく思っている。

懲りずにそれから2回程入退院を繰り返し、ついにはODでの搬送は出禁になってしまった。

 

その時の罪悪感と後悔があったからこそ今の他人に迷惑をかけず、趣味の範疇で知識欲を満たすというスタンスが出来上がったのだろう。

 

この記事を読んでいる人は乱用者と普通の人で別れると思う。

 

乱用者は胃洗浄がどのような苦痛を伴うか、病院という外部機関に運ばれるほどの自己制御のままならないODがどれほど危険か、ということを考えてみてほしい。

主義を持つことが大切だ。僕は断薬しろとは乱用者であるから口が裂けても言えない。

 

普通の人は知らない世界を覗く程度に見てほしい。もしも周りにそういう人間がいるならば何故薬をやっているのか聞いてみてはどうか。答えによっては人間らしすぎたり、危険だったり、本質的な部分が見えるように思える。

 

初めてはどうにもうまくいくものではない。失敗を経て、思考を固めるのも大事なことだと僕は思う。